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孤独を求めて、連帯を恐れず

ちなみに、私の記憶が確かならば、かつて一部で流行った言葉は「連帯を求めて、孤立を恐れず」だったと思う(フランス語では、「孤独な」はsolitaire、「連帯した」はsolidaire)。

共産主義者は、自分の見解や意図を隠すことを恥とする。

(カール・マルクス:『共産主義者宣言』、金塚貞文訳、太田出版、p.96、1993)


public
[形] 1 公の、公共の、公衆の; 社会(全体)の 2 公開の、公衆のための; 公立の 3 公的な、公務の; 公共団体の 4 公然の、広く知れ渡った、著明な 5 (各大学寮に対し)大学全体の 6 (まれ)国際的な
republic
[名] 1 共和国、共和政体 2 団体、…社会、…界 3 (ソ連・ユーゴスラビアの)連邦共和国 4 (近代フランスの5期間それぞれの)共和制
de-
[接頭] 1下降 2 分離 3 否定 4 強意 5 悪化・非難

(小西友七・他:『ジーニアス英和辞典』、1989)

エピグラフ

情報の堕落があるのではなく、情報とはそれ自体が堕落なのだ。

(ジル・ドゥルーズ:『映画 2――時間=映像』、1985)

邦訳は、宇野邦一訳で法政大学出版局から刊行予定らしい。ジーバーベルク論より。

邦題は『シネマ 2――時間イマージュ』?

私はこう言いました。観念論哲学者は、汽車に乗るとき、始発駅と終着駅を、旅の始まりと終わりを、とっくに知っている人だと。それはちょうど彼が、人間、歴史、世界の起源と運命を知っているようなものです。

反対に、唯物論哲学者は、アメリカ西部劇のヒーローのようにいつも「走っている列車」に飛び乗る人です。

(ルイ・アルチュセール:『哲学について』、今村仁司訳、筑摩書房、1995)

遺稿を編集した『哲学・政治著作集』(藤原書店)も邦訳が刊行された。

めでたいことだが、値段が高くて、まだ買えていない…(笑)。

ナポリには、当時のほとんどすべてのアメリカ兵がそうだったようにちょっとした使命感をもち、かなり純真な良心から説教したい気分になっていた一人のアメリカ兵の話があった。彼は港で、青空の下で寝転んでいる少年たちのグループに気づき、その中の一人に近付いて、尋ねた。

「何してるんだい?」

「何にも」

「それで、恥ずかしくないのかい?」

「ああ。どうして?」

「働けば、給料がもらえるんだぞ」

「で?」

「自分の家庭をつくり、子供もつくれるんだ」

「それで?」

「君の子供たちは学校に行き、大きくなり、君は田舎に自分の家を建て、やがて子供たちは結婚し、君は年金生活になれるんだ」

「で、それから?」

「休めるのさ」

「いいね。でも、それを今、僕はやってるんだ」

(ロベルト・ロッセリーニ:『ある自伝のようなもの』

原題はQuasi un'autobiografia

邦訳(『ロッセリーニの<自伝に近く>』、矢島翠訳、朝日新聞社、1994)は現在「品切れ」。

なお、この訳文は上記邦訳とは異なる。

「日本では、手紙の住所を書くとき、まず世界、次に国、そして都市名、それから街の名前、最後に番地を書くのだそうだ。これはわれわれのやり方と反対だ。まず番地、それから通りの名前を書くからね。左翼というのは、これに似ている。まずここは世界なのだ、と考えることだ。遠くにいる人の事件が、隣の人の事件と感じられることだ。だから、左翼であるというのは、政治的な立場の問題ではなく、知覚の問題なんだ。それに左翼政権などというものは存在するはずがない。そもそも左翼というのは、マイナーであることが必要だから」

(梅本洋一:「ジル・ドゥルーズ『アベセデール』を見る」
『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン/映画の21世紀(V)――顔の啓示』、
勁草書房、1997)

「アベセデール」とはフランス語で「アルファベット練習帳」のこと。

AからZまでのテーマについてドゥルーズが語る同名のヴィデオで、
彼は上のように発言しているらしい。

同一人物を二度取り挙げるのは芸がないが、しかし、凄すぎる…。

ecc.