パゾリーニ映画祭に寄せて

東京・渋谷のユーロスペースで始まった「パゾリーニ映画祭」に呼応して、ピエル・パオロ・パゾリーニの映画に関する批評や彼自身の言葉などのうち、まだ日本語では紹介されていないと思われるものを「海賊」版的に翻訳していくことにする。

『ソドムの市』

1975年。遺作。フランスのサド候爵の小説『ソドムの120日』の翻案で、原題は「サロ、あるいはソドムの120日」。

なお、サロはイタリア北部の町で、解任・逮捕されたベニート・ムッソリーニがナチス・ドイツに救出され、イタリア北部・中部を占領したドイツの助けで設立された傀儡政権「イタリア社会共和国」(サロ共和国)の政府が1943年9月から1945年4月まで存在した。いわゆるレジスタンス(抵抗)とは、この政権とドイツ占領軍に対するもの。

パゾリーニの言葉

消費的な権力の寛容さが近年私たちを生きさせている(強制的で醜い)性的関係の隠喩のみならず、『ソドムの市』の中にある(そして、その巨大な量の中にある)全ての性は、それに支配される者たちに対する権力関係の隠喩だ。言い換えれば、マルクスが人間の商品化と呼んだもの、つまり(搾取を通じた)身体の物への還元についての(ことによると、夢のような)表現である。

Corrierre della Sera紙、1975年3月25日付での談話)

批評

イタロ・カルヴィーノ

イタリア現代文学の最も著名な一人であるカルヴィーノ(1923〜1985)はパゾリーニの一歳下の同世代だが、文学や政治に関してしばしば論戦を張った。だが、フリウリ方言による「現実的」な詩を書くことから始めたパゾリーニが、晩年イタリアやイギリスの「国民文学」やギリシャ悲劇やアラビアの昔話を映画で幻想的に撮ることになる一方、カルヴィーノは各地方の方言による民話を集めて『イタリア民話集』(岩波文庫)を編集したのち、ある意味で幻想的な小説を書いていくことになるわけで、なにやら興味深い。

以下のカルヴィーノの批評は、かなり批判的ではあるが、逆説的にパゾリーニの魅力を示しているようにも思われる。

[...]パゾリーニのフィルム『ソドムの市』の主要な欠点は、設定があまり明解ではないということだ。嫌悪を催させる映像を提示する勇気は、作品に意味を与えるのに十分ではない。これらの映像がどのような効果を提示するかを定める決断も必要なのだ。私の印象は、パゾリーニはフィルムに可能な3つか4つの設定の間で決めかねたままになり、ある意味をもちえたはずの一つの設定に思い切って立ち向かわなかったということだ。必要以上にサドの文学に忠実であり、この文学的な忠実さを正当化するためにサドの精神からあまりに遠く離れたフィルムになったのは、このためである。

最初に言わなければならないことは、サドの小説をナチ=ファシスト共和国の時代と場所に舞台設定するというアイディアは、私にはあらゆる視点で最悪に思えるということだ。この恐ろしい過去は、それを生きた多くの人々の記憶の中にあり、サドの恐ろしさのような絶えず本当らしさの外にある象徴的で幻想的な恐ろしさ(パゾリーニによって正しく幻想的な観点で表現された)の道具立てとしては使えない。

[...]作品が説話的に大きく運動し始める点は、生け贄たちの呆然とした群れの中に、各々は秘密の恋人を隠し、それが生き延びる助けになっていることが見つかるときだ。命を救われることを望んで、互いに密告し合う少年少女たちである。これは権力が広める頽廃の印だ。だが、見つかったものは、生の本能の最小の蓄えでもあり、人間の優しさや温かさの中に現れる、抑圧が押えつけることのできないものなのだ。このモチーフ(これはサドの中には形跡がないように思える)は、映画的に効果がある。だが、握り拳の腕を上げたまま殺される裸の若者という、壮大な修辞家に思える映像とともに、あまりにも早く閉じられてしまう。

確かにパゾリーニは、楽天的、「人間的」、激励的にフィルムを読ませるために、いくつかの開かれた門を残しておきたかったのだ(ラストシーンも、ピアニストの死もそうだろう)。だが、この理想的なヴィジョンと、フィルムが実際に見せるものとの間には、つりあいがない。このフィルムの本質は、周辺部に流刑にされている慰めになる挿話にではなく、嫌悪感を催し頽廃を招く一つの世界についての彼の表現にあるのだ。もしフィルムが真実を見せなければならないのなら、他でもなくそこに、それを探さなければならない。

サドが「ソドムの120日」から貧困や貧窮を除くよう気にかけていることを、思い出させてもらおう。まさにこのために、16人の生け贄は全員貴族の家の少年少女たちに決められているからだ。しかし、多くの人々は金を介した頽廃に固執する。これこそが、パゾリーニがほったらかしにしている点なのだ。

だが、4人の邪悪な男たちとその廷臣との間に定められる関係を信じられる現実的なものにする唯一の方法は、彼らが主要な道具として金を持っていることを証明することであった。このようにしてのみ、パゾリーニは彼のドラマ、つまり成功した映画人となったときから彼の人生の中で金が占めるようになった部分の、基本的な主題を語ることに辿り着いたであろうに。

これは、システムとしての頽廃の劇だ。サドの作品の本質だが、サドが残酷な意気軒昂によって表現したのに対して、パゾリーニにおいてはそれは絶望である。この絶望の中に、すべてのものを汚す頽廃へのこの嫌悪の中に、このフィルムの真実がある。だが、内的な明解さの欠如のために、パゾリーニは迂回した一連の戦略を強いられ、歴史的に定義しようとすればするほど抽象的で一般的になる「権力」を標的として見せかけ、彼自身を除いた全世界を、腐敗させ腐敗するままにする罪で糾弾することになったのだ。

さしあたり、彼は作品に一つの尺度と一つの路線を見つけさせるために糾弾していることを確認すれば、十分だろう。そうしてのみ、サドの意味は見つかるだろう。それは、私たちの良識を賭けることによって良く見ることができ、そのとき、私たちの中にある闇の世界に目を向けるという、反対作業を成し遂げることが大切になるだろう。サドによる「道徳的」な効果は、「告発」が他の者たちではなく私たちを指さしている場合のみ、引き出すことができる。「行動の場所」は、私たちの意識でしかありえないのだ。

Corrierre della Sera紙、ミラノ、1975年11月30日付)

『アラビアンナイト』

1974年。原題を直訳すると「千一夜の花」。「千一夜物語」の意味だが、ちなみにイタリア語では「珠玉集」に「花」という単語を使う。

パゾリーニの言葉

『千一夜』のそれぞれの物語は、一つの異常によって明らかになる運命の「出現」によって始まる。しかし、他の異常を生み出さないような異常はない。こうして、異常の連鎖が生まれる。こうした連鎖が論理的で緻密で本質的であればあるほど、『千一夜』の物語はますます美しく(つまり、生き生きとした、興奮させるものに)なる。異常の連鎖は、ずっと伸び続け、正常に帰る。『千一夜』の各物語の終わりは、日常生活の幸せなけだるさの中に入ることによる運命の「消滅」にある。だから、フィルムの中で私に着想を与えたものは、現実をずらすことに専念する〈運命〉を作品の中に熱心に見ることだ。シュールレアリスムや魔術(これの並外れた本質的な痕跡は、私のフィルムの中にあるが)の方へではなく、「夢」や「幻」として調べられたときのみ意味あるものとして現れる、生を暴露する不条理の方へ、である。したがって私は、みすぼらしい顔と埃に満ちた現実的なフィルムをつくった。だが、同時に、登場人物たちは「奪われ」〔かどわかされ、うっとりとし〕、自身に起こる出来事を対象として不本意な認識の不安〔渇望〕を強いられる、幻想的なフィルムをつくったのだ。

Il Tempo紙、ローマ、1974年4月28日付)

批評

アルベルト・モラヴィア

モラヴィア(1907〜1990)は、戦後イタリアの代表的な文学者=左翼知識人で、パゾリーニより15歳歳上だが親交が深く、しばしば孤立無縁のパゾリーニを擁護した。ちなみに、かつてはモラヴィアやパゾリーニの小説は、我が国では文庫本としてたくさん出版されていたものだが、今やほとんど絶版になっている。

念のためだが、ジャン=リュック・ゴダールの『軽蔑』の原作はモラヴィアだし、パゾリーニの助監督を勤めたベルナルド・ベルトルッチの『暗殺の森』の原作はモラヴィアの『体制順応主義者』である。

『アラビアンナイト』の中では、みんなが笑っている。通行人も浮浪者も商人も笑い、女たちと男たちは共にベッドに行きながら笑い、少年たちは少女たちを抱きながら笑う。この笑いは偶然ではない。これは、予想外で信じがたく空想的な、ホモセクシャルな冒険の笑いなのだ。到達できない幸福のユートピアにおいて、歴史的なだけではなく心理学的でもある現実の外で行動する者の笑いである。このユートピア的な笑いの光は、砂漠の砂から《東洋》を蘇らせる。奇妙なことに、同じユートピアに惹かれていたプルーストの《西洋》に似ている、一つの〈東洋〉である。

L'Espresso誌、ローマ、1974年9月22日号)

『カンタベリー物語』

1972年。原作は、14世紀のイギリスの「詩作の父」ジョフリー・チョーサー。

パゾリーニの言葉

私がこの物語を語ったのは、純粋にこれを語ることの喜びのためだ。物語を語る喜びは、語られるものとの戯れを伴い、この戯れは、物質に関する一種の自由を伴う。物質に対してのこの自由は、チョーサーの再構築は空想的なものであるべきで、歴史的時期の再構築の口実として使われてはならないことを要求する。このフィルムの物語〔歴史〕は厳密に空想的であり、したがって、空想の戯れとして映画を作ることができるために、私はチョーサーを忘れなければならないのだ。

(1972年ベルリン映画祭での記者会見より、Jeune Cinema誌、68号、1973年2月)

『デカメロン』

1971年。原作は、いうまでもなく14世紀イタリア・ルネッサンス期の代表的な「小説家」ボッカッチョ。なお、「デカメロン」とは「10日物語」の意味。

パゾリーニの言葉

「パゾリーニ映画祭」のカタログに訳されている文章の最終段落と重なるが、訳し直してみる。

『デカメロン』で私は、自分でわかっているように、そして撮りたいと思うように撮った。私のスタイルではかつてなかったほどだ。『豚小屋』や『王女メディア』での私の遊びは残忍だったが、今回の遊びは愉快な、不思議なほど愉快なものだ。愉快な作品(当然ながら、たいへん落ち着いて作られた)とは、あらゆる予想に背いていると思われるし、それは完全な反抗なのだ(だが私は嘘をついているのかもしれない)。[...]「私は過去の力だ」と私は言い、『リコッタ』〔『ロゴパグ』の中の一篇〕でオーソン・ウェルズにその詩を読ませた。私は今ますます、それになっている。

L'Espresso/colore誌、47号、ローマ、1970年11月22日)

『王女メディア』

1969年。主演はオペラ『メディア』で有名な歌手、マリア・カラス。

パゾリーニの言葉

『王女メディア』は、哲学的な物語と愛のいざこざを奇怪に混ぜ合わせたもので、映画のこの二つのタイプによって形作られた全体の中に、一つの抽象的な構造が単純化されてとらえられうる。宗教的な古い世界と世俗的な新しい世界の間に、劇的な衝突が必然的に生まれるのだ。この葛藤の中で、古い世界に属する者は精神的な破局に敗れるが、彼の現前は新しい世界を否認する。メディアは、宗教的な古い世界から来て、全員が世俗的で、現代的で、洗練されていて、教養のあるコリント〔映画の舞台になっている古代ギリシャの都市国家〕のような豊かな世界にたどり着く。こうして、彼女は大きな苦痛と不安の感情を体験し、ある退行〔逆行、退化〕を生きるのだ。

Jeune Cinema誌、45号、1970年3月)

『豚小屋』

1969年。

パゾリーニの言葉

恐れを結晶にすること。

ロートレアモンの主題についての、ペトラルカのソネットをつくること。

残忍で甘美なフィルム。

このフィルムの明白な政治的内容には、対象として、歴史的状況として、ドイツがある。だが、フィルムはドイツについては語らずに、古い資本主義と新しいそれとの間の曖昧な関係を語る。ドイツは、限定的な事例として選ばれたのだ。

それよりも、このフィルムの明白な政治的内容は、すべての歴史上の社会への絶望的な不信、つまり終末論的な無政府主義だ。

この作品の意味はこのように残忍で恐ろしいものなので、私はこれを、a)ほとんど観想的〔瞑想的〕な冷やかさ〔離脱〕、b)ユーモア、によって扱うしかなかった。

誰かが私に「では、これは自伝的な作品ですか?」と尋ねるだろうことはわかっている。そのとおり、「そうです」と、私は質問した人に答えるだろう。この作品は私の自伝であり、少なくとも私の自伝として、私にまず恐れを心に抱かせ、次にそれを冷やかさとユーモアで表現するように導く。この冷やかさとユーモアにそれほどこだわるつもりはないが、これらにたどり着いたことに変わりはないのだ。

そのうえ、この作品が部分的に自伝的なのには、以下の二つの理由がある。

一つ目には、私はピエール・クレメンティの役(終末論的な無政府主義で、いわば、実存的な計画についての全否認)に部分的に自己同一化している。

二つ目には、私はジャン=ピエール・レオが演じた役(曖昧さ、消えてしまう自分らしさ、つまり、逃げた女に向けた独白の中で登場人物が自分について言うことのすべて)に部分的に自己同一化しているのだ。

この作品の単純化したメッセージは以下のとおりである。社会というものや、あらゆる社会は、不従順な若者をも、不従順でも従順でもない若者をも、貪り食う。若者は従順でなければならず、それで十分なのだ[...]。

(1969年ヴェネツィア映画祭での作品上映において報道陣に示された解説)

『テオレマ』

1968年。

パゾリーニの言葉

このフィルムの中核は、ある正体不明の男が通過することで構成される。彼はとても美しく、善良で、ミラノの大ブルジョワ家庭が受け入れている客たちとはかなり違っている。みんな彼を愛し、言葉の絶対的な意味で彼に支配され、心をかき乱される。そして彼は出発する。この彼の通過が、そこに荒廃を残して行くのだ。

私はスキャンダルは探さない。この世界では、神がスキャンダルなのだ。キリストがもし戻って来たなら、新たにスキャンダルになるだろう。彼は当時既にスキャンダルだったわけだが、今日でもそうなることだろう。私のつくった正体不明の男――テレンス・スタンプによって演じられた――は、現実的な文脈の中に入れられたイエスではなく、絶対的意味でのエロスでもなく、無情な神、エホヴァのメッセージであり、彼は具体的な記号や神秘的な現在を横断して、それらの間違った確信から、死すべき人間〔肉体〕たちを取り出す〔救い出す〕のだ。

安く獲得した良識と、それによって生き、暮らし、自分自身についての間違った観念に閉じ籠っている良識人やブルジョワジーたちを破壊するのは、一つの神なのである。

La Quinzaine Litteraire誌、パリ、1-15、1969年3月、および、Cineforum、ヴェネツィア、IX、85号、1969年3月)

『リコッタ』

1963年。ロッセリーニ、ゴダール、グレゴレッティとによるオムニバス『ロゴパグ』の一篇。

パゾリーニの言葉

口の悪い奴だ!

「映画撮影を表象するという口実によって」……。ああ、私は「マリア様」という言葉で、形式に激高した犠牲者ではない者の、傷つけられた平静さを叫びたい。聖人はストラッチなのだ。ジョットが軍事上の廃虚や凝灰岩に対して見る鼻の低い古代人の顔、マザッチョがパン焼き職人として聖なる丸パンに明暗を付けるだろう丸い腰……。

弁当を自分は我慢して家族に与え「怒りの日」の伴奏つきで食べさせるという善良さが不明瞭なのであれば。食事を犬に奪われて泣く純真さが不明瞭なのであれば。罪深い動物をそれでも愛撫する優しさが不明瞭なのであれば。彼を苛める者に対してチョチャーリア地方の祖先の歌を唱って答えるという控えめな勇気が不明瞭なのであれば。 [...]………………………………………………………………………………

Poesia in forma rosa(『薔薇色の形の詩』)、ガルザンティ、ミラノ、1964年)


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